statement(2014)
私が生まれたのは1984年。
まだインターネットがほとんど普及しておらず、テレビが私たちの生活を占めていた時代だった。おそらく私は物心がつく前から典型的なテレビっこだった。我家でテレビがついていないのは外出しているときか、眠る時ぐらいだったかもしれない。
テレビの中から直接私に語りかけてくる言葉は見つからなかったけれど、かわりにこちらが何の反応を返さなくても誰にも咎められる事はなかった。テレビを見ている間、私の身体は透明になり、私の眼は無名の傍観者となっていた。
それから20年以上の時が流れて、気がつけば今や私は映像の作品を作るようになっていた。既存の映像に字幕をつけてみたり、音と映像をずらしてみたりと映像と遊んでいるではないか。私は映像に能動的に関わる事で、あのとき忘れられた自分の身体、自分の眼を取り戻そうとしているのかもしれない。
テレビの中で誰かの物語は勝手に進んでくれるが、それを見ているあいだは私の物語は何も進んでいない。作品を作る事でやっと私は自分の物語を進める事ができている、これは確かな事である。
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